メジャーリーグとプロ野球 年齢に対する考え方の違い

バッターボックス

2018年の1月に中日ドラゴンズの入団テストに合格した松坂大輔投手は、1998年の甲子園大会で春・夏連覇を果たし、その年のドラフト会議で当たりくじを引いた西武ライオンズに入団してプロとしてのキャリアをスタートします。その翌年にはいきなり最多勝を獲得し、以来日本のエースとして名声を轟かせることになります。

そして、2006年シーズン終了後にはポスティングシステムにより、メジャーリーグに挑戦します。移籍先の球団が松坂投手を落札するのに費やした金額と6年間の年俸の合計は1億ドルを超えており、1億ドルの男ということでアメリカでも大きな注目を集めることになります。

ところが、残念なことにこのような大きな金額に見合うような成績を残すことは出来ませんでした。その大きな要因となったのが度重なる肘・肩の故障で、10代からの金属疲労が関係していると言われています。この肘・肩の不調はプロ野球に復帰してからも彼を苦しめており、3年間在籍したホークスでは、1イニングしか投げることは出来ませんでした。

メジャーリーグでは、有望な若手選手を壊してしまわないように、年齢に応じて投球数や投球回数を制限するという工夫を施しているケースが多く見られています。例えば、松坂投手と同じ1980年生まれのCC・Sabathia投手は慎重な育成プランを立てられ、投球回数が200イニングを初めて超えたのはプロ5年目のことです。このようにじっくりと育てたのが功を奏し、通算237勝を挙げています。これは日米通算で164勝の松坂選手よりも70以上も多い数字で、若い時に無理をしなかったことがプラスに作用したと考えられます。